外食店 店員と創る雰囲気

テンションが上がらず、鬱気味で。

「肉」でも食って精をつけようかと、最近流行りの立ち食いステーキの店へ。

AM11:00  開店直後なので、並ばずに席に案内される。

 

店員に注文し、手持ち無沙汰なのでスマホをいじっていると、前の席の客に注文した料理が届く。もう少しかと思った矢先、「すみません、こちらの手違いで別なお客様に料理を先に出してしまいました。先ほど焼き始めたので、もう少々お待ちください。」と……。

 

取り立てて急ぐ用事もなく、待っていればよかったのだが。

隣を見れば、配膳係は新人だったのか、チーフらしき人物に「落ち着いて出せば良いから」と諭されている。

帰りもチーフらしき店員にレジで再度謝られ、外まで見送りしてくれたのだが、思ったことがある。

 

テンションがまったく上がらず、不意打ちのアクシデントに反応できなかったし、何かしようとする気がなかったので、妄想に近いが……。

客も店員との掛け合いの中で、店の雰囲気を創り出していくということ。

リッツカールトンの接客が良く引き合いに出されるが、オーダーメイドのその人のための接客というのは、基本的に繰り返し利用=馴染みの客になって初めて受けられるサービス。一見の客が何を望んでいるのかなんて、神様にしか分からない。

オーダーミスに対して、謝罪を望むのか、値引きを望むのか、ボリュームアップの+@を望むのか。

だから、客も「分かった。じゃあ、もう少し量を増やしてよ」と言い、帰り際にも「また、間違えてね。サンキュー」ぐらいの軽口を叩く。

 

それで、現場は和むのか?店の雰囲気は良くなるのか?

誰でも最初はミスするし、繁盛店や店舗拡大中のチェーンストアなら、良くあること。

運送業のように、ミスした分が給料天引きになってたら笑えない?ドン引き?!

だから、客のひとりよがりの妄想だけど。

 

朦朧とした頭で考えながら、ほとんど無言で店を後にした。

そもそも、オーダーミスじゃないし。ただ、配膳が遅れただけ。

 

 

風が吹けば…の連鎖(貧困の光景)その2

貧困の現状は、野生に近づく。

家は雨風を凌げず、満足に栄養が行き届かず、病気の治療も受けられない。

病気になったり、弱った子どもたちは食事を撮れなくなり、淘汰されていく。

 

最初のエッセイ「餌をくれない飼主」がフィクションでなければ、餌をくれない飼主と犬の間には、どんな関係が存在しているのだろう。日本でいう「家族のようなペット」とは全く違うことは分かるが、ある日気まぐれにいなくなってしまう存在なのだろうか。

大昔の狩猟採集生活でさえ、獲物の分け前があった。「人付け」なんて言葉に当てはめたくない、純粋な共同生活が営まれている浪漫を感じた。

 

人間が動物と違うのは、貨幣が存在していることだ。

それまで周囲に存在していなかった食料や金銭や医療品など様々なものを与えることで、その人の価値観に影響を及ぼし、喜びや怒りといった感情につながる。

 右のものを左に横流しする、中間搾取する、沢山産んでリスクに備える、沢山の子が幸運にして生き残り、家族の食料が足りなくなれば援助物資だろうが何だろうが売り払う。まさに、他人の屍を乗り越えていくような、延々と続くサバイバルの状況にあっては、プレゼントでも送るかのような支援にいかにリアリティがないことか。

でも、それが身に沁みる体験をした日本人は少ない。行動する前に立ちすくんでしまわないようにするには、どうしたら良いか。

マタイによる福音書「あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい」

(貧しい人にとって)下着は替えがあるけれども、高価な上着は一張羅で替えがない。灼熱の日中から一転して、夜には30℃以上も冷え込む砂漠で上着を与えることは、自らの死をも意味する。つまり、与えるということは、本来、思いつきや要らないものを片手間でやるような楽なものではなく、自分の命を与えるような真剣な行為。

そんなヒントが書かれていた。

 

「いただきます」を毎回、(命を)頂きますの意で言えている人は少なく、「こんにちは」や「お世話になります」くらい、考えていない言葉ではないだろうか。

考えないという意味では、物を送ることに対し、思考が止まり、自分の行為に酔い、本質からかけはなれた自己満足にとどまっている。もしくは、既に片付いたこととして、考えようともしたくないのが現実である。

風が吹けば…の連鎖(貧困の光景)その1

太郎物語や塩狩峠で有名な曽野綾子の著書。

インドから西、中近東からアフリカで、著者が見た貧困の姿をまとめている。

「観念的」で「道徳的」にならないよう気をつけたという、本書からの記述を引用しながら、物質的な貧困~魂の貧困まで考えてみる。

 

まず、日本の常識を一度、すべて取り去らないと事の本質が見えてこない。

北川景子主演ドラマ「家売るオンナ」の

「つまらない価値観や狭い常識でものを言うな! だから庭野は家が売れないんだ!」

というセリフが、頭を過ぎった。

①警察や病院機能がまともに動いていない国では、物を送ってもまず無事に届かない。

②価値のあるものであれば、あるほど。

③届いたとしても、困窮したら、売り払ってしまう。

 

日本から援助物資を送って終わりではなく、届いてやれやれともならず、使い続けるにはどうしたら良いか……。ある時点の切り出しでなく、現地の人の日々の暮らしが続いていく~生まれて死ぬまでの中・長期で捉えないと真の解決策にはたどり着かない。